【函館市】啄木小公園について地元民でありながら知らないことが多かったので調べてみました!

こちらは、啄木小公園です。

後ろに函館山を望むことができる場所で、津軽海峡に面した海が見える場所にあり、とても景色のいい場所にあります。

地元民の日の出スポットとしても有名です。

こちらの座像は、公園の名前にもある石川啄木【1886(明治19年)~1912(明治45年)】です。

明治時代に活躍した詩人です。

写真の石川啄木の座像は、札幌出身の彫刻家本郷 新【1905(明治38年)~1980年(昭和55年)】によってつくられました。

『潮かおる北の浜辺の砂山のかの浜薔薇(ハマナス)よ今年も咲けるや』

台座に刻まれている言葉は、初出『一握の砂』の中にある歌です。

石川啄木が函館にいたといわれる、1907年(明治40年)の当時の景色とは、かなり変わってしまっていると思われますが、この啄木小公園のあたりは、昔は「砂山町」と呼ばれていて、大きな砂山があったとのこと。

啄木小公園から大森浜に降りることができるのですが。。。

この写真を見て頂くとわかるように、現在でも砂の移動が激しい場所ですので(階段や手すりが砂で埋まっていました)きっと当時の大森浜付近は、かなり大きな砂山があったのではないでしょうか。

当時のその砂山には、初夏から夏にかけて真っ赤なハマナスが群生して広がっていたそうです。

こちらの詩碑は、西城八十【1892(明治25年)~1970年(昭和45年)】が、昭和33年に函館を訪れた際につくった、啄木に捧げた歌です。

『眠ゐし君に捧ぐべき 矢車草の花もなく ひとり佇む五月寒 立待岬の波静か おもひでの砂ただひかる』

駐車場から啄木小公園へ向かう入口付近には、片平庸人(かたひら つねと)の歌碑もあります。

『北の海にび色にかびろく 雲ひくくまろし砂丘 見るかぎり茫々 餓えがらすそが雲の上 だヾ あるく ばっさ ばっさ ナ、』

片平庸人という方と石川啄木との関係がわからなかったので調べてみたところ、特に関係性があるわけではないようです。

片平庸人は、民謡歌人だった方で、酒に酔った状態で冬の大森浜に入り事故死されたそうで。。。

彼の知人がこの歌碑を建てたといわれているらしいです。

啄木小公園はこちら↓

(Nagare〆)

2020/01/21 07:00 2020/01/21 07:00
Nagare〆

号外NETの広告出稿はこちら

号外NETメルマガ

号外NETゲームポータル

号外netは持続可能な開発目標(SDGs)を支援します

号外netへの提供提供求む!

号外net 全国で地域ライター募集