【函館市】以前、二十軒坂にあった『自由の女神』が今、どこにあるか知っていましたか?
こちらは『二十間坂(にじゅっけんざか)』です。
広い道に長方形の規則正しく敷き詰められた石畳や、道の両脇に並ぶ和風や洋風の建物が立ち並ぶ坂です。
昔は、坂の上に大工や工人が多く住んでいたことから『大工町坂』と呼ばれていました。
1879年(明治12年)の大火の後には、木が多く茂っていたのでその街路樹の様子から『緑坂』と呼ばれていたこともあります。
その際に、大火に備え『防火帯』として拡幅され、道幅が『二十間(約36m)』になったので、この名称になったそうです。
1900年(明治33年)には、道幅の広さから『函館山要塞』に備える大砲を搬送するのに利用されていたそうです。
『二十間坂』は『函館朝市』まで続いています。
★『函館朝市』はこちら↓
『明治館』があるのも『二十間坂』です。
★『明治館』はこちら↓
函館元町に建つ東本願寺函館別院。この町で頻繁に起きる大火に悩まされていた、檀家総代の金森合名会社代表・三代目渡辺熊四郎の発案により、大正4(1915)年に鉄筋コンクリート造で建立したものです。設計は十世・伊藤平左衛門、施工は木田保造。木田はこれを機に、函館で大活躍する事になりました。 pic.twitter.com/5h7cTiGU0V
— 東京都下・まちだ (@tamalake) January 29, 2019
『東本願寺函館別院』は、1915年(大正15年)に建立された国内最古の鉄筋コンクリート造りの瓦の大屋根が特徴的な寺院。
『国指定重要文化財』でもあります。
『鉄筋コンクリート製』ですが『和風木造寺院』のようにつくられています。
★『東本願寺函館別院』はこちら↓
ホントにあった!(^^;; あの!と言っても #函館 市民にしかわからないと思いますが、二十軒坂にあった名物?迷惑?、景観問題に揺れ、土産物店?の閉店とともに消え去った自由の女神。砂原(森町)にありました(^^;; pic.twitter.com/g85bE3NVrz
— monotone (@boss_monotone) September 24, 2017
『二十間坂』といえば、以前、『自由の女神』でいろいろありましたが、今は、砂原町の道道1028号線沿いにあるそうです。
★『二十間坂』はこちら↓