【函館市】川原緑道と緑園通りがなぜつくられたのか知っていましたか?
古くから函館にいる方なら知っている人も多いでしょうが。。。
こちらは、本通りのミスタードーナツ付近から川原町を抜け深堀町まで行く道『川原緑道』から、さらに道路を渡り、湯の川小学校前の道路に続く『緑園通り』の中にある産業道路の下を通るトンネル付近の写真です。
この『川原緑道』と『緑園通り』を結ぶ道は、全長約3㎞あり、自転車と歩行者専用道路として使われています。
これらの道は、『自転車道路』などとも呼ばれ通学などに使われ親しまれていますが、この道が戦争遺跡である『旧戸井線跡』だという事を知っていましたか?
『旧戸井線』とは、戦前に着工された軍事貨物用のために開通を目指した鉄道のことです。
五稜郭駅から函館市中心部を通り『下海岸』の海岸沿いを通り旧戸井町の戸井駅までの29.2㎞を結ぶ予定だった鉄道。
9割がた工事も終わっていたにもかかわらず、あと少しで開通というところで戦中の物資不足などで工事が中断され、戦後も工事を再開されることなく幻となった鉄道が『旧戸井線』です。
いわれてみれば『緑園通り』などの中には独特の風情がある場所があります。
上の写真は、有斗高校前の産業道路から『緑園通り』へ降りて湯の川方面へ向かう途中にある『アーチ橋』です。
橋は、現在も道路として使われていますが、崩落に備えて鉄板で補強をしなければならないほど古くなっています。
ここは特に『旧戸井線跡』って感じがしますね。
こちらは見晴公園通の上の『ライラック橋』
もしかしたら、この上に列車が走っていたのかもしれません。
何気なく生活道路として使っていた道も、歴史ある道だと知ると何だか感慨深いものがあります。
アーチ橋はこのあたり↓
ライラック橋はこのあたり↓
(Nagare〆)