【函館市】かつて函館には「六稜郭」と呼ばれる場所があったことをご存じですか?
函館観光と言えば「五稜郭」は外せない場所です。
地元民ならあたりまえのように知っている「四稜郭」も、少々レアな観光地としてありますが、かつて函館には「六稜郭(ろくりょうかく)」と呼ばれる場所があったことをご存じですか?
※このほか「三稜郭」や「七稜郭」もあったそうです。
まずはこちら、市電「函館どつく前」電停のすぐそばにある児童公園に「新選組最後の地」があることをご存じの方は多いと思いますが。。。
こちらの横にこのような案内板あるのをご存じですか?
「弁天台場」と言われてもピンとこない方も多いと思いますが、「弁天台場」こそ、かつて「六稜郭」と呼ばれた星形の砦です。
「五稜郭」の補助的な防御施設として幕末に「五稜郭」とほぼ同時期に築かれたと言われています。
明治以降の港湾整備や埋め立てによって現在形跡はほとんど残っていませんが、函館の歴史好きな方であれば、1869年に本陣「五稜郭」に先立って新政府軍に降伏した場所が「弁天台場」であったことは、ご存じなのではないでしょうか?
現在はこのように碑が建つのみとなりましたが取り壊された時「弁天台場」に使われていた石材は、以前ご紹介をした「船入澗防波堤」の護岸に使用されています。
以前紹介した記事はこちら→【函館市】「入舟町」を散策していたら『函館漁港』で気になるものを見つけたので調べてみました!
このような歴史を知ってから改めてみると、なんだか感慨深い気もします。
「六稜郭」に興味がある方は「函館市中央図書館デジタル資料館」で見ることもできます。
☆『弁天台場跡』はこちら