【函館市】北斗市の『八郎沼公園』のはじまりは人工池だったことを知っていましたか?
こちらは北斗市の『八郎沼公園』です。
函館は、桜が咲き初めましたが、隣町のこちらは、まだ肌寒い感じです。
まだ、桜には早いせいか人も少なく静かですが、よく、クマの目撃情報がある場所ですので、お出かけ前にはクマの目撃情報もチェックした方がいいかもしれません。
『八郎沼公園』は、開拓使を退職して大野に移住した伊予国(愛知県)の士族の山田致人(やまだむねと)が、牛に水を飲ませるために池を掘り、水を蓄えたのが始まりで、当時は水田の用水としても利用した人工沼でした。
その後、多くの事業を手掛けた中村長兵衛の所有に移り、その息子である中村長八郎が、大正時代になってから、水田用水の確保と鯉の養殖をするために池を拡張したものが今日の沼の原型となりました。
中村長八郎の死後、この沼は彼の名にちなんで『八郎沼』と呼ばれるようになりました。
戦後の土地改良によって、『八郎沼』も解放されそうになりましたが、養鯉池であるからという意義申し立てが通り、幸いにもそのままの様相を残すことができました。
以後、『八郎沼』を公園にという動きが何度かありましたが、本格的に着手したのは1975年(昭和50年)からです。
ずーしーほっきーが八郎沼公園の遊具になってた件 pic.twitter.com/bv01stTILF
— サキノセ (@sakinose_gotok) August 15, 2019
5カ年計画で整備され、アスレチックやパークゴルフ場などがつくられ、現在では総合公園として人々に親しまれています。
しかし、今年のGWは、新型コロナウイルス感染拡大防止のため公園内での集団での飲食は、当面の間、遠慮してほしいとのことです。
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