【函館市】今はその面影もないけれどあさり坂には貝塚があったって知っていましたか?
こちらは『あさり坂』です。
1878年(明治11年)に、英人『ジョン・ミルン』と米人『エドワード・モース』らが、函館在住だった英人『ブラギストン』と協力して『貝塚』などを発掘した時に、古代人が食べた『アサリ』の貝殻がたくさん見つかったことから、この名前になったそうです。
『大和古寺風物語』などで著名な文学評論家『亀井勝一郎の文学碑』があります。
『亀井勝一郎』は、1907年(明治40年)の函館産まれで、生家は『カトリック元町教会』のすぐ隣でした。
こちらの文学碑、立派な石が使われていますが『亀』に見えてしまうのは私だけでしょうか?
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『亀井勝一郎の文学碑』から、函館公園へ向かう途中には『石川啄木居住地跡』の掲示があります。
青柳町15番地あたりに住んでいたそうですが『石川啄木』が生活していた頃の大火で家が焼けることはありませんでしたが、『石川啄木』が函館を去ったあと、別の大火の時に焼失したそうです。
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