【函館市】函館といえば洋館のイメージが強いですが『千歳坂』は一味違った函館を見せてくれる坂です。
こちらの『千歳坂』は、明治12年の函館大火以降にできた坂です。
坂の東側に神社があったそうで、その境内にあった『千歳の松』に由来してこの名称になったとも言われています。
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坂の途中にある『伴田米穀店』の建物は、函館市景観形成指定建造物で、1916年(大正5年)ころに開業医の住居兼診療所として建てられたものだそうです。
⭕️鯨族供養塔
旧西中学校の向かいにあります。ペリー一行が開港要求してきたのも捕鯨のための給油地を必要としたからで、函館と捕鯨との縁は幕末の頃から深かった。捕獲した鯨の供養のために建立された碑です。#ブラモリ #西部地区SP③ pic.twitter.com/SSVSVvueYe— mori (@tarknight) October 22, 2019
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さらに坂を登って行くと旧西中学校があり、その東側には『鯨族供養塔(げいぞくくようとう)』があります。
函館は、捕鯨と縁が深く1957年(安政4年)に幕府は、ジョン万次郎を函館に派遣して捕鯨指導をさせていますし、ドイツ(当時プロシャ)船などから捕鯨を学んだ事跡があります。
ペリー来航で1854年(安政元年)に締結された日米和親条約は、当時、北海道近海で操業していた米国捕鯨船の休憩基地としての開港要求でした。
函館市は、現在も平成11年度から日本小型捕鯨協会による『ツチクジラ』を対象とする小型捕鯨の基地でもあり、毎年、5月から6月にかけて『ツチクジラ』10頭を上限に捕鯨が行われています。
この『鯨族供養塔』は、捕鯨船の元船長兼捕鯨船の砲手であった『天野太輔』が殺生の罪深さを痛感して、昭和32年に建てたものです。
『鯨族供養塔』には絶滅危惧種とされる『セミクジラ』の模型が据えられ、年に一度、鯨の供養祭が行われています。
⭕東本願寺船見支院
元町の東本願寺函館別院の墓地を管理するため、明治37(1904)年に建てられました。五稜郭を設計した武田斐三郎の妻、美那子夫人の墓や「箱館丸」を建造した続豊治の墓があります。 #ブラモリ #船見町 pic.twitter.com/nOoLVAvHq1— mori (@tarknight) July 9, 2018
『千歳坂』のつき当りには、日本最初の鉄筋コンクリート寺院である『東本願寺船見支院』『実行寺』『称名寺』が、並んで建っています。
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(Nagare〆)